『ありのままの自分』
『ありのまま過ごせる』
昔からこの『ありのまま』がよくわからない。
辞書で調べると
【実際にあるとおり。偽りない姿】などでとでてくる。
…意味は分かる。でもそれを自分に置き換えた『ありのままの自分』ということがよくわからない。
35年間連れ添った体も心もいつだって実際にあるとおりの自分。
きっとありのままの自分ではないという意味は、人の目を気にして自分の望んでいない言動をすることや、自分の感情を窮屈にしている状態のことを言うのだろ。
私だって人に気を使うこともあるし、自分の感情を我慢することもある。
でもそれはありのままの自分でいないという気持ちではなく、この世界に生きる人間関係の中で必要なことだと思うし、それを受け入れて行動していることはありのままの自分であると思う。
だからありのままの自分!!という感覚がよくわからない。
でも世の中にはありのままの自分を求めている方が多い。
(全然悪くないし、否定もしていない。私の中でよくわからない感覚ということ)
なぜだーどうゆうことだーなんですでに皆ありのままのはずなのに求めるのか―
長年考えてきたことかもしれない。
私の一つの仮定として。
私は小さいころから人に恵まれていると母に言われて過ごしてきたぐらい、友人や周りの方に助けられて生きてきた。
これは私の自慢でもある。
素晴らしい方々の中でたくさんわがままも言ってきたし、やってきた。
(きっと私の周りにいてくれた方は大きくうなずいていると思う。)
性格がいい意味でも悪い意味でもまっすぐ過ぎて、傷つけてしまったことも多いと思う。
残念ながら自覚あり。
それでも一緒にいてくれた人や助けてくれた人達には頭が上がらないし、むしろなんで? ?とおもってしまくらい。 本当にありがとう。
※でもその方たちには全力のちょっとうざいくらいの愛情を押し付けています。それができて、伝えられている(知ってもらっている)ことが私が私自身を褒められる好きなところ。
そんな私を受け入れてくれる方たちの中で生きてきた私はもともとありのままの自分なんだ。ウソ偽ったことはなくありのまま。なんならそんなことまで話さなくてもいいよと言われることまで話しちゃう。さらけだしちゃう。
もうこれは性格だな。
そんな性格なのでありのままの自分ということが認識できないのだ。
悲しみという感情がなければ、幸せや嬉しさを感じられないように、私はありのままの自分でいることしか知らないから、ありのままの自分でない方の気持ちがわからないのだ。
これは大問題。
幸せな経験不足。
困った。
やりたくないことをやり続ける。
好きじゃない場所にい続ける。
自分の本音や感情を押し込める。
私の中でにも全くない感覚ではない。
でもあまりない感覚であり、これからもはっきりわかることはないかもしれない。
もう想像するしかない。
体験に勝るものはないけど、私には体験することができなさそうなので頭フル回転の想像で気持ちを察することしかできないのだ。
世の中には知らないことも、理解できないことも多くある。
でもそれは仕方のないことだと思う。
理解できないからと否定せず、離れるでもなく想像する。
コレトッテモダイジ
いいんだよいろんな人がいるんだから。
ありのままの自分をどこで感じるかも人それぞれ。
ヨガをしていて感じる方も。
なんかそれってとっても嬉しいなと思う。
想像する中でありのままの自分でいられないことは大変だと思う。
ヨガでその感覚から離れることはその方にとって❝あるがままの自❞❞になっていくとても大切な時間。
そんな時間に関わらせてもらえるってなんだかとっても幸せ。
ヨガインストラクタとして誇りに思えることかもしれない。
えーそんな結論でちゃったら、やる気でまくっちゃう。
午後のレッスンも頑張ろう!
なおみ
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